度を越した風刺画は表現の自由で許されるのか?

投稿日時:2015-01-13 22:38:56

投稿ユーザー:匿名

タグ:シャルリー・エブド, イスラム教, 風刺画

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フランスで襲撃事件のあった「シャルリー・エブド」。
最新号の表紙は「私はシャルリー」のサインを掲げたムハンマドを描いた風刺画らしい。

イスラム教徒にとってムハンマドの偶像化して揶揄する行為は
信仰に対する最大級の侮蔑と言っても過言ではない。

かつて日本でキリシタン狩りに踏み絵を使った。
現代人には理解し難いかもしれないが「信仰の対象を足蹴にするぐらいなら死を選ぶ。」というのは敬虔な信仰者にとっては当然のことだったのではないか。

武士の世界で言えば主君を侮蔑されれば、勝っても切腹という決闘すら辞さないという時代もあった。
近代でも「天皇陛下バンザイ」といって特攻隊員が無駄死にしたのは誰もが知る通りだ。
時代や思想が異なれば、人の命よりも重いものが存在するというのは歴史が示している。

今回の襲撃事件は12名の命を奪う卑劣なテロ行為には違いない。
しかし、そうした行為にイスラム教徒を追い込んだ責任が出版社にあるのではないか。
惜しむべくは無差別殺人という行為によって「シャルリー・エブド」側の正義が証明されたことだ。
正しく論戦を交えれば「シャルリー・エブド」に対する非難は出版の禁止にまで追い込めたはずである。

覚えている方もいるかと思うが、かつて東日本大震災の際に、福島第一原発事故とオリンピック招致を揶揄して、腕や足の多い奇形の相撲取りを描いた雑誌だ。
私は断固として許せない。こんな根拠の無い一方的な嘲笑が言論の自由のはずがない。

今回のテロ行為が「度を越した風刺画に免罪符を与えた」と考えるのは早計だと思う。

「シャルリー・エブド」最新号、表紙は「私はシャルリー」のサインを掲げたムハンマド(画像)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/12/charlie-hebdo-cover_n_6459586.html

引用の本文:1月7日にイスラム過激派の男3人に襲撃を受け、週刊紙「シャルリー・エブド」にイラストを描いていた4人の風刺画家を含む12人が死亡した事件で、「シャルリー・エブド」最新号の表紙

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コメント

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名前:匿名

投稿日時:2015-06-17 15:28:57

そもそもフランスはまともな民主主義国ではない。特定の言論を法で禁止している。アングレーム国際漫画祭の慰安婦に関する展示で、韓国は自由な展示が許されたが日本のブースは休憩の無人の時間帯を狙って主催者に破壊された。「事実を否定する」行為を禁止する法がその理由だそうである。これが反ファシズム戦争に勝利した民主主義の結果だという。欧米には実体法であるかないか、あるいは程度の違いはあってもこういうことが横行している。欧米を自由な民主主義国家だと思っているのは日本人の側の勘違いだ。欧米と付き合うなとは言わないが、彼らの偽善性欺瞞性には一定の警戒心を持ち続ける必要がある。

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ID:1

名前:匿名

投稿日時:2015-05-19 23:12:53

たしかに欧米人の持っている言論の自由に関する際限のない権利の主張には驚かされる。
この感覚は言論の自由のレベルが低いといわれる日本人だからなのだろうか…。

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