人の死を売り物にする現代の死の商人「マスコミ」
ガンで闘病中の川島なお美に対して、記者が礼を失した質問をしたとのこと。
考えても見て欲しい。ガンで闘病中に赤の他人から
「お墓を買ったんですか?」
「ご主人にあてた遺書がある?」
と、問われてどう思うだろうか?
もし肉親に対してそのような質問をした記者を見つけたらどうするだろうか。
私なら袋叩きにしてもまだ足りない。代わりにそいつ自身の墓を用意させる。
宇多田ヒカルの母・藤圭子が自殺したときも同じだ。
母親の遺体を運ぶ霊柩車に立ちふさがるカメラマン。止まった霊柩車に群がり、質問攻め。
「どのような心境ですか?」とでも聞くつもりだったのだろうか。
マスコミはその行為の是非については触れること無く、代わりに菊の花を手に悲しそうにうつむく宇多田ヒカルの写真を紹介した。
マスコミの遺族報道は何も芸能人だけではない。
2013年に起きたアルジェリア人質事件のときも問題になった。
遺族からの要望もあり、匿名を条件に取材に応じたところ、朝日や毎日新聞が紙面に被害者全員の実名を公表した。
新聞社の主張は「被害者を実名で報道することが尊厳に繋がる」とのこと。
まったく、新聞社の思い上がりも甚だしい。
「自分たちが尊厳を与えている」との言い草だ。
名も無き市民の死は価値がなく、紙面の訃報によって価値が出るとでも言いたいのか。
当時マスコミは「メディアスクラムは防げた」などと言っているが、実際はまるで違う。家の周りをマスコミに取り囲まれ、遺体に面会に行くための車が出せないと、遺族が泣いていたというのだ。
「近所の迷惑になるから来ないでくれ」と伝えたにも関わらずだ。
このときは先のやり取りで名刺交換をしたため、家の周りに居たのがフジテレビの人間と判明した。どうせ「現場の人間が勝手にやったことだ」と言い逃れするだろう。
メディアスクラムに関しては、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚が勇気ある告白をしている。ブログの中でマスコミの二枚舌を鋭く指摘している。
http://www.pressa.jp/blog/2013/01/post-8.html
マスコミによる死の商品化。悲劇の特ダネ。
最後に紹介するエピソードが端的に表している。
ダウンタウン・松本人志の父が亡くなった時のこと。
「親父が死んでまだ心身ともに完全に立ち直っていないおばあちゃんを取材しに行くというね、ほんまお前らはゲスのゲスやな!」
という発言を受けての言葉。
元フジテレビアナウンサー・長谷川豊は「マスコミはどんなにゲスでも世間が求めるコメントであれば、僕たちはそれを撮ってこなければ」とのたまった。
彼について個人的にどうこう言うつもりはない。むしろよくこれだけあけすけに言ったものだと感心した。
これがマスコミの認識。報道機関の本音ということだ。
いい加減にしろ。現実は作られたドラマではない。悲しみに打ちひしがれた人をお茶の間の見世物にして報道ヅラするのは止めろ。
お前らゲスといっしょにするな。私は不愉快だ。ここに遺族の悲しみを売り物にする報道に反対する人間がいるということを、高らかに宣言する。
川島なお美 ぶしつけ取材に苦言「病院出たらお墓や遺書の話?」 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/09/12/kiji/K20150912011115890.html
引用の本文:川島なお美 ぶしつけ取材に苦言「病院出たらお墓や遺書の話?」
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