言論の自由と商業主義を混同するべきではない
特設のページには「加害者の考えをさらけ出すことには深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え、最終的に出版に踏み切りました。」とあるが、それがなぜ出版という形になるのかが理解できない。
今であればインターネット上に意見を掲載することもできるし、各種の研究者と協力して精神分析なども行えるはずだ。
それを出版社が何の手も加えずに少年の主張を掲載した本を出すという意義が見いだせない。
本当に社会的意味を追求するのなら専門家との対話や分析が必要だろう。
タイトルに「絶歌」などという名前をつける点も許しがたい。何が歌だ。少しでも加害者に贖罪の気持ちがあれば、歌などとナルシスティックなタイトルを付けるはずがない。「さあゲームの始まりです」などと間抜けな宣言を出して即逮捕された幼稚で自己中心的な少年Aから何ら成長していない証拠だ。
出版社も被害者に了解を得ずに「それを意識しつつも、なお出版を断念しえず」などと呑気な検討をする前に、少しでも被害者の心情を傷つけないために手を加えるべきだろう。それができないで何が編集者だ。
「サムの息子法」を求める世論の声が高まっていることからわかるように、はっきりと言ってしまえば、汚い金の匂いがプンプンする。それを嗅ぎとっているからこそ、今回の出版に関するアンケートで9割もの人が「サムの息子法」を支持したのだろう。
社会的意義があるから出版を断念することができなかった?はっきり言えばいい、儲かりそうだから断念できなかったと。手を加えなかったのは、批判の矛先を出版社に向けないようにするためだと。
『絶歌』の出版について - 太田出版
http://www.ohtabooks.com/press/2015/06/17104800.html
引用の本文: 2015年6月11日、太田出版は『絶歌』を出版しました。 この本は1997年に神戸で起きた通称神戸連続児童殺傷事件の...
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