「ライブで紫綬褒章をお披露目するのが天皇への不敬だ。」なんてのは幼稚な理論
一部の脊椎反射でしか物事を判断できない想像力のかけらもない輩には紫綬褒章の意義を理解できないのだと思う。
今回の紫綬褒章は「芸術」分野での著しい功績をたたえて授与された…だけではない。
ただ売れただけのアーティスト、長くやってるだけのアーティストには紫綬褒章は授与されない。特にサザンの歌詞はエロだの隠語だのを使って若者の心情を表現する刺激的なものが多い。人気があれば何をしても構わないという性質の賞ではない、ふさわしい品格も重視される。
ではなぜ受賞につながったか。
東日本大震災の際、桑田さんを中心として「チーム・アミューズ」が作成した応援ソング「Let’s try again」によるところが大きい。
震災の当時を思い出してほしい。CMや番組が軒並み自粛され暗いムードが日本全国を覆っていた。本来そんなときにこそ希望を与えるはずの音楽も掻き消えてしまった。
誰もが二の足を踏む中、先頭を切って応援ソングの発起人になったのが桑田佳祐という人物だ。そこには「まだ自粛していたほうがいいんじゃないの?」との懸念もあったと思う。
そんななかで作った曲は、あえて軽快なリズムで「胸躍る大好きな舞台(ステージ)に みんなで駆け上がれれ、新しい夜明けを信じて 今こそ立ち上がれ…」と始まる。
世の中が暗く落ち込んでいる時こそ、あえて明るい希望の歌を歌う。普段おちゃらけたキャラクターでも、いざというときには日本全国に希望の応援歌を届ける。こうした枠にとらわれない率直さが多くのファンを獲得している所以だろう。
この歌を聞いてほっと息をついた方も多いはずだ。「そうだ立ち上がろう」と勇気づけられた人もたくさん居るだろう。約2.5億もの売上がそれを裏打ちしている。
軽率と受け取られかねない行動でも支持されたのは、普段からタブーと戦う桑田佳祐というパーソナリティによるのが大きいと思う。
何より多くのファンとライブで交流しているからこそ「真意は伝わる」という確信もあったのだと思う。
そうした活動の意義が認められ、今回の紫綬褒章に繋がった。
これは個人的見解にすぎないが、もしこのような経緯がなく紫綬褒章の話が来たとしても受けなかったのではないか?
しかし「音楽の可能性の証明として」、「チーム・アミューズを代表して」、なによりそうした活動を支持してくれた「ファンを代表して」賞を受ける気持ちになったのではないだろうか。
このような経緯があるからこそ、支持してくれているファンに向けて感謝の思いで紫綬褒章をお披露目したんだろう。
「喜びを共有したくて素手で触れた」とインタビューで答えているようだが、意義から比べたら、チリほども問題なぞ無い。(そもそも素手で持つのがどこが、不敬に当たるのか理解できないが…)
こうした「ライブでは辞めたほうが」とか「素手では持たないほうが」といった教条的な輩には今回の受賞の意義は理解できないのかもしれない。そもそも理解していないのだから批判するのも頷ける。
また、この話に付随することだが、中国・韓国との融和を説くことが、即反日に繋がるというバカバカしい理論もいい加減にしろと言いたい。
李明博大統領が放った「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」または「足をしばって、ひざまづいて謝罪するなら」という非礼に対して、天皇は「日韓の友好のためなら謝罪に訪れる意思がある」という意味の発言をされたようだ。
この悲壮な決意も、ネトウヨの短絡的な思考回路からすると、半日の売国奴ということになるのだろうか?
このような滑稽な話も、天皇という象徴を利用して日本を破壊した大日本帝国の軍人にはウケが良いかもしれない…。
物事の意義も、込められた思いも、もう少し想像力を働かせて考えてほしいものだ。
「政府批判の指摘こそ都合いい解釈」 桑田さん発言要旨:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH1L0JL9H1KUCVL01M.html
引用の本文: サザンオールスターズの桑田佳祐さんは17日深夜、「TOKYO FM」のラジオ番組で、紫綬褒章の取り扱い方などをめぐり批判が出ていることを受けて謝罪し、考えを述べた。桑田さんのラジオでの発言要旨は次の...
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ID:1
名前:匿名
投稿日時:2015-03-25 10:11:42
人サマに不敬と思われるパフォーマンスをするのが、ベテランの域にあるアーティストのすることですかね?
また批判している人たちがみなネトウヨと決めつけるのは阿呆ですよ。
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